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2016年2月23日 14:57 投稿者 : 理事 コメント 4件
前回、
「演劇とコントは違う。」という事を書いた続きです。
どう違うのか。
方法論と終着点が違います。
コントの終着点は当然「笑いをとる事」です。
コントはとにかく笑いをとる事が優先されます。
どんな手を使っても、
お客さんが笑えば勝ちです。
話が破綻していようが芝居が下手だろうが、
お客さんが笑えばそれでいいのです。
最初から最後までとにかくお客さんが笑っているのが理想です。
対して、
演劇の終着点は「作品を完成させる事」じゃないかと思います。
その物語のあるべき姿を作り込む。
おかしみも悲しみも丹念に表現していく事。
笑い声やすすり泣きが客席から聞こえても聞こえなくても、
設計図通りに演じられる事。
他人からどう思われるかでは無く、
作品としての完成度を問われるものだと思います。
そう考えると俺の芝居は確かに中途半端で、
演劇としての完成度を求めてはいますが、
じっと客席の反応を見てもいます。
お客さんの反応を見ながら芝居を変えたり。
その反面、
「笑ってもらわなきゃ意味が無い。」と言いながら、
いくら面白くても、
キャラクターが破綻するようなネタはカットしたりします。
俺が「コントは書けない。」「コントはもっと面白い。」と言うのは、
完全にお客さんの反応の為に自分を殺せない所為です。
お客さんを楽しませる為だけに特化しなければいけない時に、
「しかしこのキャラがこの芝居をするのはおかしい。」とか考えてしまう所為です。
どうでもいいんだ些末な事は。
とにかく笑ってもらえば。
そういう認識が無ければコントは書けない。
かといって、
演劇ほど客席を見ないのもどーかと思うんですが。
その辺はまた次回。
コメント
戦後初期の大衆演劇みたいな、あの頃はまだ娯楽と言ったら映画と浅草の大衆演劇くらいでねぇ…という時代の舞台のイメージ?
舞台に誰でも分かる面白さとか、笑いとかが重要だった時代がきっとあったはずだと思う。
娯楽が足りない!と叫ばれるような時代に芸術性と完成度重視の舞台は重要があったかな?
逆に今は娯楽は充分過ぎてる。だから舞台に芸術性と完成度が求められるのかもしれない。
でもあれだけ舞台の中心でボンクラを叫ぶワンビルに人が集まって頂けるということは、必要なのに誰もやってないからって事なんじゃないかと思うのです。
どちらかと言うと逆で、お客さんの心を動かす為の手段として完成度を求めているのだと思うけれど。
だからアンケートとかその回の反応を見て毎回試行錯誤する劇団があるのだし。正しいか否かは不明。
生の反応やお客様との対話をしないというのであればそれはそう。自分達も生活してて神様や人間の創造主、箱庭の観察者を意識やそいつらが喜ぶ反応はしないでしょう。
舞台は世界。だけどクロスオーバーもメタな観点もある。
その矛盾も面白いのです。
なんだろう、君は楽しいと思える芝居をあまり観ていないのではないだろうか。芝居は好きかい?楽しいかい?
ハルイさん>俺の文に「何をもってして演劇か」という前提が抜けているので人によって受け取り方は変わると思いますが、
舞台に笑いの需要がある事は間違いないと思います。現代でも吉本新喜劇なんてのはそうだね。さて、これらは「大衆」と「新」とか、「演劇」とは区別するような言い回しが付いています。それが「演劇なんかと違うんじゃあ!」というポジティブか「演劇様ほどじゃあございません。」というネガティブかはさておき、「演劇とは何か違うような気がする。」という認識が多かれ少なかれあるんじゃないでしょうか。
俺の個人的感触では、共通する「演劇」って「Drama」部分なんじゃないかな。(「ドラマ部分」って書くとまた感触が違うので泣く泣く英語表記!)大衆演劇や新喜劇も恋愛や人情話などの泣き所がある。そこは演出家(脚本家)が客席を見ないで作ってる部分=演出家の「完成」を求める部分ではないかと。そしてそこがあるから「演劇」なんじゃないかと思うのです。
ぼんやりした事を言えば「Show」と「Drama」は「客合わせ」か「そうじゃない」かの違いなんじゃないかなぁとか思う。
継続して来てくれるお客さんがいるので、ある程度の需要はあるんだなと多少安心かつ天狗です(笑)
そういえば9thは「新喜劇」っぽいというアンケートがありました。「ワンビルは東京新喜劇」。需要あるっぽくないすか?
匿名さん>演劇は「お客さんがいらない」ってぇ意味じゃないのです。最悪、「作る事だけでも意味がある」事が出来るって感じかな。「人に見せる事を目的にしてない演劇」という物があると思うのです。音楽で言えば「演奏を楽しむ為に弾く」っていうのは想像できるでしょ?演劇も「演じるのを楽しむ為に演じる」パターンもあると思います。
「二学期になったら転校してしまうあの子の為に、学芸会でやるお芝居を夏休み中に完成させる。もちろん主役はあの子だ!」とかもありそう。そんな話は、お客さんが1人も居なくても成立する。
それは「作品を作る」という行為だからこそ価値がある。
コントはちょっと違う。
「二学期になったら転校してしまうあの子の為に、学芸会でやるコントを夏休み中に完成させる。もちろん相方はあの子だ!」ってなっても心が動き難いでしょ?誰も客が居ない所で行われるコントって、もう「演劇」っぽくない?たぶんそれは「作品を作る事」に向かっていて「客を笑わせる事」に向いてないからだと思うんだよね。
俺はそんな感覚を持ってます。
演劇好き?って言われれば「まぁ」。嫌い?って言われれば「まぁ」。
無自覚に演劇を面白くないものに貶めてる演劇人は嫌いです。